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安井健治 作品解説

音楽


"Coco and Co"直筆楽譜

安井は生涯を通じて音楽と向き合ってきましたが、正式に発表された作品というと数が限られています。
作品としてあらわされたものとしては、セルジュ・ゲンスブール(フランスのアーティスト)の歌を、自身が所属していたジャズオーケストラのためにアレンジしたスコアがあります。当時の実況録音がテープとヴィデオの形で残されております。

ここでは、彼自身がデモテープ代わりに作成したMIDIデータを公開します。これが生のオーケストラで演奏された時のことを思い浮かべてみてください。


安井の音楽遍歴:

安井は、様々な楽器を演奏しました。トロンボーン、ベース、ギター、シンセサイザー、そして三味線。そして様々なバンドで演奏活動を行いました。そのジャンルも多岐にわたります。クラシック、ロック、ブルース、フレンチポップ、ジャズなど...彼にとっては、音楽の「ジャンル」分けなど、全く無意味なものだったのでしょう。

中でも長い間所属していたジャズオーケストラ"The Funky monkey 69ers" での活動は7年間以上にわたり、東京新宿のライヴハウスで好評を博していました。先に述べたアレンジ作品は、このバンドに、自ら発掘してきたヴォーカリストを擁して演奏されたものです。当時の実況録音も豊富に残っており、当記念館ではそれをデジタル音源化して永久保存しております。

安井は子供の頃から音楽に親しんでいました。10歳のころからテレビで流れる歌をおもちゃのキーボードで弾く、いわゆる「耳コピー」をし、友人と遊んでいたとの記録が残っています。中学に上がると吹奏楽部でトロンボーンを担当し、同時にロック音楽に傾倒していきます。安井が尊敬するアーティストの一人、デヴィッド・ボウイを聴き始めたのもこの頃とされています。

高校に上がるころベースギターを手にいれ、バンドを組み演奏していたという記録があります。吹奏楽部ではクラシック音楽を主に演奏し、ストラヴィンスキーの「火の鳥」などに取り組みました。この頃ロックのリズムや、ストラヴィンスキーの和声を体で感じ取り、感覚を磨いていったと思われます。

大学に進学すると、運命的な出会いがありました。その後長くつきあうことになるジャズとの出会いです。ビッグバンド(ジャズオーケストラ)に所属し、トロンボーンを担当しました。当時この大学のビッグバンドは低迷しており、安井は入団当初からレギュラーメンバーとして活躍しました。ただし、学園祭の時にはエレキギターやベースも演奏し、この頃からトロンボーンとギターの間での葛藤が始まっていたとの見解もあります。安井はこの時期、ジャズの理論とブルースの感覚を体得し、ロック/ポップの源流である黒人音楽について見識を深めました。

そして大学卒業を待たずして、先に述べたジャズオーケストラを中心に活躍することになります。
迫力あるビッグバンドサウンドは観客に強烈なインパクトを与え、毎回のライヴでは立ち見がでるほどだったとの記録がのこっています。

しかし、安井は次第にジャズ、そしてトロンボーンという楽器に違和感を感じるようになりました。この頃の安井はポップアートなどに触れ、次第にポップカルチャーというものを強く意識するようになった時期です。そのような背景で、古き良きビッグバンドジャズ的なサウンドにギャップを感じていたのかもしれません。

安井の尊敬するアーティスト、セルジュ・ゲンスブールは時代によって、シャンソン、ポップス、ロック、レゲエなどジャンルを超えて作品を発表し、まさにポップカルチャーの権化といえる存在でした。そんなゲンスブールの音楽を、自分のバンドで演奏すべく、アレンジにとりかかったのです。もともとアレンジャーではなかった安井は苦労しながらも、あふれでるイメージを音符に書き留め、バンドメンバー17人分のスコアを完成させます。完成させたスコアは最終的には7曲とも8曲とも言われています。

安井はジャズバンドへの違和感を払拭すべく、このスコアに賭けていたのです。自分のイメージで書かれたスコアをジャズバンドで演奏すれば、自分の違和感は取り去れらるはずだ。

しかし、残念ながら、リハーサル不足などの問題もあり、世間の評判という面では大きな成功は得られませんでした。ただ、ゲンスブールの伝記執筆などで有名な永瀧達治氏の目に止まり、ゲンスブール委員会の一員として注目されるという新しい展開があったことを記しておきます。

その後、しばらくバンドに所属しましたが、チャールズ・ミンガスの"MOANIN'"のトロンボーン・ソロで激烈なアドリブソロを吹奏した後、「燃え尽きた」との言葉を残し、バンドを去りました。

その後安井は、エレキギターに没頭し、3人編成のバンドで自由な表現を試みてセッションを繰り返し、ヴォーカルにも挑戦しました。しかし正式な作品は出ておりません。

安井は総じて「リスナー」であるよりも先に「プレイヤー」でした。家では音楽を聴かず静かに過ごすことが多く、時々、好きな純邦楽、三味線による小唄や箏曲を聴いて、粋にすごしていたと遺族の方は語っています。

音楽作品自体は少ないものの、安井の書やエッセイなどは、すべて音楽をベースになりたっているもので、安井を語る上で音楽は非常に重要な事項であります。当記念館でも、過去の文献や資料を再研究しているところです。

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