「パリに白人はいなかった」−パリ到着−
| 「夜のフライトにすればよかった…」 旅の最初の言葉である。相方のNatsu と行く旅は、まずパリをめざしていた。土曜日昼に成田発で、パリに着いたのが夜9時過ぎ。経由地のブリュッセルで二時間待ったせいもあるけれど、ずいぶん遅い時間に着いた。しかも、日本からEメールで予約しておいたホテルの住所を書いたメモを忘れてきてしまった! 「ホテルAGORAというホテルの住所、教えてください」 モベール・ミュチュアリテという駅名が、うまく発音できたかどうかわからない。でもあちこち電話掛けてくれて、なんとかわかったようだ。 「AGORAホテルの場所がわかりました。あなたのお名前は?」 予約を取りたいというのと、勘違いしてるのかな?この人は。住所を教えてくれるだけでいいんだけど....と思いながら、自分の名前のスペルを言った。そうしたら、その案内係の人が笑った。 「フランス語、上手なのねー!」 そうだった。英語でやりとりしてるのに、なぜかスペルだけ、一生懸命フランス語の発音で言っていた。ケー・イー・エヌと言えばいいのに、カー・ウー・エヌと必死に発音していたのだった。どうせ今は英語で話しているのだから、わざわざフランス語で言うことはなかったのに。なんだかおかしくて、恥ずかしい。 「住所はこれです。行き方、わかります?」 といって、歩き出したが、RERの改札は正反対の方向だった。引き返して、もういちど案内所の前を通ったら、係のおねえさんが笑ってた。しょうがないやん、パリは三度目でも、この新しい空港、シャルル・ド・ゴール2は初めてなんだよう。 小銭をもっていたなかったぼくらは、きっぷを買うのに往生しながらも、ようやくRERに乗りこむことが出来た。ガイドブックには「RERや地下鉄では最近犯罪が多発。夜9時以降は絶対に乗らないように」 と書いてあった。今は夜10時過ぎ。いかにも観光客といったかっこうで、スーツケースを転がしている。しかも時差ぼけでボーっとしているから、まったくちょうど良いカモである。 「がんばって。悪いけど、今は寝ないで」 眠ってしまったら危ない。ちょっと緊張したまま電車が動き出した、パリ郊外の、暗い駅に着くたびに客が増えていった。パリに来た感じがしなかった。乗客のほとんどが、黒人か、ジプシー系の民族だったからだ。白人はひとりも乗っていない。子供とお母さん。夜遊び帰りの女の子達。仕事帰りの男たち。みんなみすぼらしい格好をしているけれど、恐いことはなかった。夜の車両の中で二人だけ、ぼくら日本人が乗っていることだけが異様だった。 みんな上手に席を分けあって座り、一日の仕事を終えて安らいだ表情をしている。みな優しそうだ。ぼくらは4人がけのボックス席に座っていた。向かい側に黒人の青年二人組が座る。スーツケースのせいでかなり狭くなっている。でも彼らは平然と、逆に遠慮するように縮こまって席にすわってくれた。これが日本だったら逆にイヤな顔をされたかもしれない。「犯罪が多発」という記事はなんだったんだろう。偏見からくる誤解と、ほんの一部のことで「多発」となってしまう風潮…。なんてことを考えようとしたが、眠くてだめだった。 そうしているうちに、すぐ駅についた。St.Michel-Notre Dame(サン・ミシェル−ノートル・ダム)駅。地上に出ると、目の前に、ライトアップされたノートルダム聖堂がいた。以前来たときよりも、新しかった。白かった。修復工事を経て、表面の汚れがおとされたそうだ。相方のNatsuは「わーこれかぁー」と言うのが精一杯だった。まずはホテルにたどり着かないと。 工事中の道路を横切り、地図をみながらようやくホテルにたどり着いた。小さいけれど、なかなか居心地のよさそうなプチ・ホテル。場所はノートルダムとソルボンヌ大学の間で、学生街だ。こういう、地元風の立地が気に入っていた。この旅のあいだ、いろいろなところを歩いたけれど、結局このホテル周辺の界隈が一番いいところだった、と今は思う。 パリに住む人はなにも白人だけじゃない。ニューヨークと同じくらい、様々な人が根付いている。パリも東京もバンコクも同じ。住人たちは、毎日ホコリにまみれ、そのホコリを落とし、一生懸命生きている。大多数の人たちは、ぼくたちが自分の町で暮らすのと同じように、世界都市パリで謙虚な毎日をおくっている。初日の数時間のうちに、パリ周辺に住むいろいろな人達を見て思ったことだった。 |
![]() 空港からメトロを降りると、いきなりノートルダムだった。 |
![]() 明日は怒涛のパリ名所めぐり。 凱旋門はネタの宝庫だった!? |

