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タイ紀行 アユタヤ編

Tuesday 15,SEP,1997

ちょっと早起きして、今日は遺跡の街アユタヤへ。
ファランポーン駅では親切な駅員さんが、「アユタヤへは18番でチケットを買うんだよ」と教えてくれた。
ものすごくうるさい列車に乗り込んで、3等列車でエアコンなしだけど、自然に入ってくる風が気もちいい。 窓の外は田んぼや畑に、高床式の住居がならんでた。

アユタヤはけっこう大きな街だった。
改札を出て、自転車に乗ろうとしたけど、あまりに暑いのと、近寄ってきたおじさんの熱弁に負けて、 車で廻ってもらうことにした。でも大正解。この暑い中チャリだったら絶対死ぬ!

ワット・パナン・チェンは普通の寺で、いまでもちゃんと営業していた。
ワット・ヤイ・チャイ・モンコンは72メートルのでっかい塔があって、横には釈迦が寝ていた。
寝釈迦を前に何を想う...

車で移動するとほこりがすごくて、コンタクトレンズにはひじょーにキビシイ。ワット・ロカヤ・スタに着いたときは両目が開かなかった。おかげでここの有名な大寝釈迦仏を見るのが大変だった。
ここの寝釈迦は、うわさどおりおだやかで幸せな顔をしていて、ホッとする。破壊された廃虚の草っ原にどおんと寝そべって、気持ちよさそう。その裏の神殿跡も完全に破壊されていて、茶色のレンガの土台が残っている。モヘンジョ・ダロって感じ。

アユタヤ王室の寺院ワット・プラ・スィー・サンペットは、白い塔が3つならんでいて印象的。その他は破壊し尽くされていて、廃虚がそのまま残っている。仏像もみんな頭や腕がない。
かつての神殿は今、草に覆われてひっそりと建っている。


今も残っている塔(右下のパラソルが私)
 
 廃虚にたたずむ

日本だと木だから、大切にそのまんま残るか、焼けちゃうかだけど、タイは石造りなのでこの光景は 日本では見られないかも。しかしアユタヤにはホントに日本人が多い。やはりこういう、廃虚、諸行無常、 終わっていくものの美学、なんてのが国民性として根付いているのかもしれないなあ。

最後のワット・プラ・マハタートもすばらしい。「かつては黄金で輝いていた」なんていうフレーズも たまらない。くずれた建物によじ登ると、ほんとに美しい草原とくずれたレンガ建物、そして何十体もの首のない仏像。異様で、しかも美しい光景。

居るのは全員日本人

時間が来たので車運転のおばちゃん(途中でとうもろこしをおごってくれた、気さくなおばちゃん)に 駅に戻ってもらった。
駅近くの屋台でお昼。お米の幅広麺にあんかけ。唐辛子とナムプラーをいれると最高にうまいっ! 列車が来たので急いで食べなくてはいけなかったのがちょっと残念。
帰りの列車の中ではちっちゃい子がかわいくて、S夫妻と仲良くなっていた。孫がかわいくてしょうがないおばあちゃんも、とてもうれしそうだった。
タイの人は、なんだかやさしい人が多いな。駅でも、普通の人が「バンコク行きはこれにのるんだよ」って 一生懸命教えてくれたし。

ホテルで休んだ後、オリエンタルホテルのレストラン、サラ・リム・ナムへ。
超豪華ホテルの専用渡し船で行く超豪華ディナー(また昼と夜でギャップがありすぎる)
客は日本人ばっか。王宮料理は甘いので、慣れるまで今イチだったけど、まあこれはこれでうまい。 ディナーが終わる頃、タイダンスが始まった。
神話を題材にしたやつとか、タイの女性を称えるのとか、民族舞踊とか、多彩。演奏もかなり良かった。
ゆったりしたテンポから、火がついたように盛り上がる。ダブルリードのひちりきのようなのを吹いていると、まるで後期コルトレーンみたい(コルトレーンがまねをしたんだけど...)。踊り、演奏ともレヴェルが高くて良かった。

その後パッポン通り。妖しい店がならんでて、女の子に腕を引っぱられたり、超退廃的なエリア。 日本人ビジネスマンが偉そうにしている。みんなエイズでさっさと死んぢまえって感じ。
パッポン1通りにはみやげもの屋もずらりぎっしりあって、小さな笙を買った。うれしかった。

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20/JAN 1998


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